目次索引著者紹介

第3章

目的いろいろインターネット活用術――(6)

インターネットの医療応用

山本隆一

 医療は健康に問題がある人,つまり患者に提供されるサービスで,医療従事者と患者のヒューマンリレーションシップがベースとなる.患者と医療従事者の関係は基本的には個人的なもので,つまり,極めて人間臭いものだと言える.コンピュータを駆使した情報科学は次第に医療の中での役割を深めてはいるが,あくまでも人が人に行う医療というサービスを補助するものである.さて,ではこのような性格の医療というサービスと広域コンピュータネットワークであるインターネットはどのように関わり,また将来はどうなっていくのであろうか.医療とインターネットの関係を見ていくのには3つの視点がある.1つは医療というサービスを取り巻く社会的な視点,次に医療従事者から見た医療という視点,最後に患者からみた医療という視点である.この順番で見ていくことにする.

1.医療にインターネットが必要か?

 医療を取り巻く社会とインターネットの関係はここでわざわざ触れる必要もないだろうが,確実にネットワーク社会に向かっていると考えられる.エレクトリックコマースと呼ばれる経済革命も確実に実現に向かって進んでいるし,自治体や政府の提供する公共サービスもインターネットを利用することを模索し,実験的に実施されているものも少なくない.一般社会でインターネットが重要なコミュニケーションメディアになることは確実である.そのような情勢で,公的な性格を持つ医療サービスもインターネットと無関係ではすまなくなるのは時間の問題であろう.
 医療従事者から見た医療では,インターネットの利用はさらに切迫していると考えられる.医療は健康に関する知識や技術を総動員して行われるものだが,医療に関する知識や技術の進歩は極めて急速である.しかもその量は膨大で,1人の医療従事者が,狭い範囲に限ってもその領域のすべての知識や技術を身に付けて,しかも最新の情報に常に精通していることは不可能である.必要な時に最新の情報に効率的にアクセスできるしくみが必須になりつつあり,このようなしくみはインターネットなしには考えられない.
 では,患者から見た医療ではどうだろうか.確かに現在は広域ネットワークを利用した医療を積極的に求める声はまだ高くはない.しかし一方で慢性疾患の比率が増加し,何らかの健康上の問題を抱えながら生活を続けている人の割合はかなり大きく,また日本に限っても人の行動範囲は広がり続けていて,ある医療機関に簡単にアクセスできる距離の範囲で一生を過ごす人は少なくなってきている.地域に関係なく必要な時には自分の健康情報にアクセスでき,どこでも適切な医療サービスを受けることができるような環境の整備は早晩実現されなければならないと思う.社会の国際化を考えれば国境さえも越える必要がある.このような医療サービス体制も広域ネットワークなしでは考えられない.
 以上のように,基本的には個人的で人間的なサービスでありながら,社会的にも,医療従事者にとっても,患者にとっても医療とインターネットの関わりを深めていくことが必要である.しかしここで最初に考えておかなければならない問題がある.健康情報はプライバシー情報で,本来の目的以外には公開されてはいけないものだが,インターネットは公開が原則のコンピュータネットワークであり,はたしてこのような性格のインターネットを医療で利用してよいのだろうか.筆者自身はこれまでの文章の中でも広域ネットワークとインターネットという言葉を使い分けてきた.読者に最初から不安を与えたくないために使い分けたのだが,それは意味があるのだろうか.インターネットと医療の関係を具体的に述べる前にこの問題,つまりセキュリティの問題に触れておきたい.

2.インターネットとセキュリティ

 前段でインターネットと広域ネットワークという言葉を使い分けた.これはインターネットと切り離した医療専用の広域ネットワークの利用も意識して使い分けたのだが,さて,これは意味があるのかどうか.結論から言えば意味はない.ネットワークの安全性を脅かす要素(リスク)はいろいろ考えられるが,いずれにしてもすべてのリスクに対する対策の中で一番弱いところがネットワークの安全性である.確かにインターネットと切り離したネットワークを作ればインターネットからのリスクはなくなる.しかしネットワークのリスクはそれだけではない.電線なら電線の周囲にセンサーを取り付ければ流れる信号を解析することができるし,光ファイバーでもどこかの接続点で少し細工をすれば信号を取り出すことができる.特定の病院の中などの狭い範囲では物理的にネットワークを監視することも可能だが,日本中,あるいは世界的な広がりを持つようなネットワークの場合,監視は不可能である.つまり,インターネットと切り離したからと言って安全性はあまり高まらないわけで,膨大な費用のかかる専用ネットワークを作ることは意味がないと言ってもよい.
 では,自由で混沌の世界であるインターネットで高度なプライバシー情報である医療情報を交換することができるのだろうか.もちろん通常の電子メールやWWWでは交換はできないが,しかし,危険な(?)インターネットでも少し工夫することで高度な安全性を確保して情報交換することが可能である.対策に触れる前にリスクを整理しておこう.
 医療にインターネットの機能を利用する場合,大きく分けて2つのリスクが存在する.1つはインターネットのどこかから医療機関の内部のネットワークに不正に侵入されるリスクで,2つ目はインターネットを通じて交換される情報に不正な干渉が加えられるリスクである.1つ目を境界部のリスク,2つ目を通信のリスクと呼ぶことにする.
 境界部のリスクはファイアウォールと総称される技術で対処することができる.図1は典型的なファイアウォールの構成例だが,ファイアウォールの基本的な要素は一種のフィルタで,正規の情報は自由に通過することができるが,不正な情報ははね返すしくみである.完全なファイアウォールはないが,インターネット上で銀行が営業しているのを見てもわかるように,実用上は十分な安全性を確保することができる.

 図1 ファイアウォールの構成例

 通信のリスクは盗聴,改竄,なりすましの3悪人が主役である.盗聴そのものを阻止する手段はないので,盗聴されても内容がわからないように暗号化して情報を送る必要がある.改竄はもとの情報の内容がわからなければできないため,盗聴を防止すれば改竄も防止できる.なりすましは少し複雑である.なりすましとは身元を偽って情報を流したり,返事をしたりすることで,これを防止するためにはインターネット上で身元を確認する方法を用意する必要がある.身元の確認を認証と呼ぶ.認証は顔見知り同士なら,当事者間しかわからないような話題を含めることでも可能である.合い言葉のようなものでもよいだろう.しかし医療情報は顔見知り同士でやり取りするとは限らない.例えば,九州の患者が北海道に転勤した場合は,転勤先の医療機関に十分な情報を伝える必要がある.このような場合にはインターネット上で相手の身元を確認する必要があるが,これも現代の暗号化の技術を使って実現することができる.暗号化技術について詳細には触れないが,簡単に見てみよう.

3.暗号の話

 暗号化にもいろいろな種類があるが,鍵を使って暗号化と復号を行う一般的な暗号には対称鍵暗号化方式と非対称鍵暗号化方式の2種類がある.名前はいかめしいが,対称鍵暗号化とは同じ鍵(またはお互いが簡単に類推できる2つの鍵)で暗号化と復号を行う方式で,非対称鍵暗号化とはお互いに類推できない2つの鍵でそれぞれ暗号化と復号を行うしくみである.
 対称鍵暗号化は方法が簡単で暗号も頑丈だが,鍵を相手に教える必要が出てくる.鍵を盗まれると簡単に解読できるので,鍵の交換を安全に行う必要がある.つまり,そのままではインターネットでは使うことができない.
 非対称鍵暗号化は2つの鍵を使うが,一方で暗号化されたものは他方でしか復号できず,一方の鍵から他方の鍵を類推することが事実上不可能であるような鍵を使う.そして一方の鍵を大事に保管しておき,もう一方の鍵を広く公開しておく.その人に秘密の情報を送りたい人は公開された鍵を使って暗号化して送れば,大事に保管してある鍵でしか復号できないので,だれでも安全に秘密の情報を送ることができる.
 ここで発想を変えて,大事に保管してある鍵で暗号化する場合を考えてみる.この情報は広く公開されているもう一方の鍵を使って誰にでも復号できる.秘密保持の意味はないが,この情報を暗号化できるのは大事に保管してある鍵を持っている人だけになるため,情報の発信者の確認に使うことができる.これを電子署名と呼ぶ.普通の文書のサインや印鑑と考えればよいだろう.また電子署名を付けた情報を,相手の公開された鍵を使って暗号化すれば,発信者が確認できて,相手にしか復号できない情報を送ることができる(図2).


秘密鍵:持ち主だけが使うことができる
公開鍵:広く公開されて誰でもいつでも使うことができる

 図2 電子署名付き暗号化

 さてサインや印鑑は信用できるだろうか.顔見知りなら信用できる場合も多いのだが,見ず知らずの人から印鑑を押した文書をもらってもその人がどんな人かということはそこに書いてあることを信用するしかない.これでは医療情報の交換には十分安全とは言えない.このような場合に普通の文章では印鑑証明を使うわけだが,印鑑証明は皆さんご存じのように役所が本人を確認した上で,その人の印鑑を証明するもので,印鑑証明の印影と文書の印影を照合すれば本人を確認することができる.インターネットでもこの方法を用いる.この場合,印鑑はその人の公開された鍵である.そして印鑑証明は公証書と呼び,公証書にはその人の公開された鍵と身元情報が書かれ,役所に相当する公証局の電子署名を付けて発行される.情報を送りたい人は,情報に電子署名をし,公証書を添付して,全体を相手の公開された鍵で暗号化する.受け取った人は自分の大事に保管してある鍵で復号し,公証書を(公証局の公開された鍵を使って)検証し,最後に相手の公開された鍵(公証書にも含まれている)を使って電子署名を確認する(図3).これで十分なセキュリティを維持することができる.

秘密鍵:持ち主だけが使うことができる
公開鍵:広く公開されて誰でもいつでも使うことができる

 図3 公証書付き暗号化

 これらのセキュリティ技術はすでに実用化されたものばかりである.現在残された問題は,公証書を個人に発行するか病院のような施設に発行するかという公証レベルの決定や,医療に用いる公証局の設置などで,主に政治的な問題だけである.いずれも間もなく解決すると思われる.従って,インターネットで医療情報を安全に交換することは可能で,間もなく実現することだろう.

4.医療とインターネットの現状

 安全性の面は間もなく解決されそうで,実験的な試みも始まっているが,プライバシー情報の交換を含む医療そのものの応用はまだ実用化されていない.現状では医療従事者のための情報提供やプライバシー情報を含まない一般的な医療情報の公開が中心である.もちろん臨床研究のサポートは活発だが,これは本書の他の部分にある基礎医学や生物学の分野と同様なので,ここでは割愛する.
 医療従事者のための情報提供としては,医薬品情報や,中毒情報,風土病のデータベース,AIDSや悪性腫瘍に関するファクトシートなど極めて多数にのぼる.また専門外の人のためのガイダンス的な教科書も豊富ある.国立がんセンター <http://www.ncc.go.jp> には悪性腫瘍のファクトシートであるNCIのCancer Netが公開されている.テキストブックとしてはアイオワ大学のVirtual Hospital <http://vh.radiology.uiowa.edu>(図4)が有名である.

図4 アイオワ大学Virtual Hospitalのホームページ

Virtual Hospitalはインターネットに構築されたマルチメディアテキストブックの元祖だが,今でも第一級の内容を維持している.日本ではPathy Projectの白血病電子教科書 <http://clair.noc.fujita-hu.ac.jp/pathy.html> が大変充実した内容であり,悪性高熱などの特定の疾患の教科書的なリソースも数多く存在している.インターネットの医療・医学への応用が本格的に始まったのはgopherやWWWなどのマルチメディアに対応したInfosystemが普及してからである.環境が整わなかったということもあるが,画像を自由に扱えることが普及を推進した大きな要因であったことは異論のないところだろう.実際,画像を主体としたマルチメディアライブラリは医療面でも大変豊富である.大阪医大の眼科画像コレクション <http://www.osaka-med.ac.jp/omc-lib/EYE/opht.html>(図5)は代表的な疾患の眼科画像を網羅しており,島根医大のサーバ <http://www.shimane-med.ac.jp/IMAGE/Radiology.HTML> にはMRIの3次元画像(図6)をはじめとする豊富な画像ライブラリがある.

 図5 大阪医大の眼科画像ライブラリの1つ (糖尿病眼底)

 図6 島根医大の1ページ(MR cholangiographyの3次元画像ライブラリ)

 これまでに紹介したものは,施設単位あるいは特定の部門や個人がボランティアベースで提供している情報が多いが,公的な資金を導入した情報提供も試みられている.国立大学病院ネットワークとして出発したUMIN <http://www.umin.u-tokyo.ac.jp> はユーザ登録が必要だが,豊富なデータベースを持っており(図7),今年できたばかりの財団法人医療研修推進財団はインターネットを積極的に利用した情報提供を目指している.図8は医療研修推進財団の試作ページである.会員登録をする必要があるが,本書が発刊されるころには実運用が開始されているかもしれない.また財団法人医療情報システム開発センターのサーバ <http://www.medis.or.jp> には後述の厚生省の電子カルテ開発プロジェクトの情報が公開されている.

 図7 UMINの日本語ホームページ

 図8 医療研修推進団体の試作ページ

 医療機関からの情報発信はまだ始まったばかりだが,病院紹介などは続々と増えており,一般的な医療や健康に関する情報も増加しつつある.東京大学付属病院のホームページ <http://www.h.u-tokyo.ac.jp/> は大変充実していて,ここで予習をして行けば初めて病院を訪れる人も迷うことはないと思われる.病気で病院を訪れる人は何かと不安なもので,特に初めての病院となると気後れすることもあるかと思われるが,そんな時にこのような病院紹介のページは大きな効果を発揮すると思う.
 これらの医療関係のインターネット上のリソースは急速に増えているため,全貌を把握するのは困難である.そんな時に役立つのがディレクトリサービスで,他の章でもいくつかのディレクトリサービスが紹介されている.特に医療面ですぐれたディレクトリサービスも存在し,その中でも日本大学医学部のサーバ <http://cortex.med.nihon-u.ac.jp>(図9)が提供しているディレクトリは優れており,ここを出発点にすれば現状を把握するのは容易である.

 図9 日本大学医学部のホームページ 矢印のリンクが医学関係のリソースリスト

5.医療とインターネットの将来

 昨年度から厚生省の電子カルテ開発プロジェクトがスタートしている.医療情報学会の電子カルテ研究会も活発に活動していて,医療情報の電子化は今後急速に進むと思われる.そしてこれらのプロジェクトや研究会では広域ネットワークの利用に積極的に取り組んでいる.最初に述べたように,広域ネットワークを利用した電子化は将来の医療にとって不可欠なものである.どこで受診しても必要な病歴は簡単で安全に利用できることは十分に実現可能なことであり,実現されなければならないことである.外来診療の予約などの事務的な手続きの一部も当然インターネット経由で(安全に)できるようになるだろう.診療所と高次機能病院の連携もネットワークを利用することで,高度で有機的なものになると思われる.
 一方で,医療の方も変革してくると思われる.最初にも述べたが,医療は基本的には人間と人間の間でなされるものだが,医療の高度化に伴って1人の医療従事者や医療機関が1人の患者のすべての健康上の問題に対処できない場合も多くなっている.現在では多くの場合,医療機関同士の紹介で対処しているわけだが,ある意味で医療がネットワークに開かれることによって選択肢が増加するとともに,選択もオープンになるだろう.紹介を受ける側もお得意様を決めて座して待つという態度ではすまなくなるかもしれない.それぞれの受け持ち分野での能力やサービスが試されることになるだろう.そういう意味では,医療従事者にとっては厳しい状況ではあるが,医療全体の質の向上はさらに進むものと期待したい.